若手研究者に聞く-奨励賞受賞者からのコメント-

木も見て森も見る千葉大学大学院理学研究院
板倉 英祐

 高校生の私は研究者という職業に、「学問の真理を明らかにすべく、風貌やコネではなく実力だけで生きていく自由業な感じ」という勝手なイメージを抱きつつ(このイメージが誤りであることは後に知りました)、大学生になったころから絶対に大学院博士後期課程まで進み研究者になると決意していたタイプの学生でした。一方でいわゆる天才には敵わないだろうと理解していたので、研究は基本的に質よりも量で勝負していくスタイルが自分の持ち味だと考えて、体力勝負な実験を好みました。実際に学生からポスドクのころまでは平日は一日14時間、土日は6時間必ずラボにいることを自身に課した生活をして、日々の研究をとってもエンジョイしていたのでした。 

 そんな私も研究をしていく中で変化をしてきました。学生のころの自分を思い返すと、若気の至りという言葉がよく当てはまります。思いついた実験をすぐにやろうとするガムシャラな私に昔のボスからよく言われた言葉は「できることをするのではなく、すべきことをしなさい」ということでした。そのときは「そんなこと言われても。。。」と思っていた私も、今はその意味がよくわかるようになりました。 

 実際に実験量で勝負をしていた私もポスドク時代には質を求めるようになり、CellやMol. Cellの筆頭著者論文を発表できるまでに成長してきました。もちろん周りからの大きなサポートとすばらしいボスにめぐり逢えたことは言うまでもありません。私が学んだ最も大きなことは、良い意味でも悪い意味でも予想外の結果を得たときの潜在的なチャンスを見逃さないことです。実は上記の2つの論文とも当初の研究テーマからは異なる方向性の内容です。実験の結果が予想と異なった場合に、執拗に当初からの目標へ舵取りを続けると、求める結果がいつまでも出ないリスクや、指導する立場であれば捏造を誘発するリスクまで発生します。つまり「木を見て、森を見ず」状態におちいってしまうのです。 

 得られた結果が予想と全く異なり、説明が困難だったとしてもすぐに落胆する必要はありません。よく思案してみるのです。私が思う研究の最もすばらしいところは、目の前の現象が生命現象の一端であるかぎり、科学合理的な解釈によって100%説明できるはずだということです(いつかは)。一方で、例えば企業で製品が売れない理由を考えたとき、合理的な理由もありますが、消費者側の気分や時代背景による人の意思・感性など変動的な因子が介在し、ある程度以上の予測は困難です。だからこそ、純科学的な基礎実験から得られた予想外の結果は、当初は混乱を招いたとしても、なぜそうなるのか暗中模索し続けることで思考の糧となり、少しずつ真のゴールに近づいているのです。つまり私が言いたいことは、予想外の結果が出てしまったときにこそ、真摯に結果と向き合えばおのずと答えに辿り着くということです。まだ駆け出し研究者の学生のみなさんも「木も見て森も見る」臨機応変な思考をもって、「考えること」をエンジョイしてみてください。

 

 

板倉 英祐 氏 略歴
2009年 埼玉大学大学院理工学研究科 博士課程修了
2009年 東京医科歯科大学大学院医歯学総合研究科 博士研究員
2012年 MRC Laboratory of Molecular Biology (UK)  博士研究員
2015年 千葉大学大学院融合科学研究科 助教