いつも「生化学」をお読みいただき、誠にありがとうございます。本誌は、生化学会が発足した1925年10月に「日本生化学会会報」として第1巻第1号が発刊されてから、今年で100周年を迎えることとなりました。この記念すべき節目にあたり、これまでご愛読いただいた皆様に、歴代の企画委員長を代表しまして心より感謝申し上げます。これまでの100年、生命科学の進展とともに歩んできた本誌は、最初は総説欄、交見欄、報告演説抄録、通信欄、報告欄からなる構成から始まったそうです。その後、大戦により英文誌Journal of Biochemistry(JB)が1944年に休刊になった際、JBに代わって生化学の和文原著論文を掲載することとし、「日本生化学会誌」に改称されました。その直後に大戦の影響を受けてこちらも休刊を余儀なくされ、1948年発行の第20巻から「生化学」に改称して再刊されたことが、今年100周年の年に第97巻である理由です。
我々は今までに、生化学のうちどれだけを解明し、理解したのでしょうか? 数百年前の錬金術のノートには、実験をした日に食べたものとか、着ていた服の色が記載されているものがあるそうです。現代の我々は、鉄や銅や水銀をどんな割合で混ぜても、どんな処置をしても、金や銀には絶対にならないことを知っています。ましてや、実験者が食べたものや服の色が関係するはずがないと、おかしく思います。しかし当時の錬金術師は真剣に、それらの条件も考慮・検討したのでしょう。錬金術は金を作り出すことはできませんでしたが、その過程で多くの化学的発見や技術革新がなされたことが判っています。現代の生化学は、「生命を理解する」ところまでは全く到達していませんが、個々の研究者の挑戦は今後の世界を良くしていくことには貢献しているものと思います。
100年の歴史の中には、研究分野や研究手法の流行り廃りもありました。私が研究を始めたころに花形だった研究分野の一つに「がん遺伝子」あるいは「がん抑制遺伝子」を探索する、というものがありました。毎月のように新たな遺伝子がトップジャーナルに報告され、がんの研究に関わっていなかった私は、遠からずがんの全てが理解され、克服されるのだろうと期待しました。しかしそれから30年以上経った現代、我々はがんを理解したとは到底言えないと思いますし、相変わらず日本人の死因第一位です。この間にヒトゲノム解読などもなされた結果、「新たながん遺伝子を発見する」という研究目的は成立しなくなったとも言えます。次の流行、次の技術を見定めることは容易ではないですが、過去の歴史や経緯を振り返ることで多くのことに気づけると思っています。
100周年という特別な年を迎えるにあたり、「生化学」誌では記念企画を通じてその軌跡を振り返り、未来を見つめる機会を提供したいと考えています。まず第1弾として、「鑑往知来~生化学会100年の軌跡」と題して、歴代の生化学会大会会頭の先生方による、大会を振り返るエピソードや昔話、実験や発⾒の裏話、若い⽅を喚起するような記事を掲載していきます。また、来年には、歴代会長の方々による、特別総説の掲載を予定しています。さらには、新発見や、研究(あるいは人生)の転機のきっかけになった写真やデータを紹介いただく新企画も準備中です。今後も、興味深く、科学と社会に貢献できる誌面作りを心がけていきますので、みなさまどうぞよろしくお願いいたします。