研究の原点「一座建立」

研究の原点「一座建立」

名誉会員 米田 悦啓

現在、私は、一般財団法人阪大微生物病研究会(BIKEN財団)の理事長をしていますが、理事長室に飾ってある色紙に書かれている言葉が「一座建立」です。先ずは、この想い出から、本稿を始めたいと思います。

私は、細胞融合現象の発見者である岡田善雄先生の研究室で研究者としての人生を踏み出しました。「一座建立」は、岡田先生の座右の銘です。色紙は、私が教授になった時に岡田先生に一筆をふるっていただきました。若いころに、1度だけ、どういう意味でこの言葉を使っておられるかを聞いたことがあります。その時の記憶によりますと、いろいろな考え方、生き方をした人間が、ひとつの場所に集まって、ひとつの物を作り上げる、築き上げるという意味で使っていると言われたと思います。実際、岡田研究室には、様々な考え方の研究者が集まり、個々の研究者のテーマはかなり違いましたが、何かおもしろいことをやろうという気持ちで一つにまとまっていたように思います。余談ですが、私がいただいた色紙に書かれた「建」という字が間違っていて、「廴(えんにょう)」が「辶(しんにょう)」になっています。間違った文字で書かれた岡田先生の色紙は、おそらく世界に一つしかない宝物だと思っています。そして、この「一座建立」という言葉が、私の研究の原点になりました。

「論文を読むな。」
岡田先生が時々研究室で言われていた言葉です。研究者は、論文を読んで、最新の知見を取り入れながらでないと最先端の研究を進めることはできません。これは明確な事実であり、岡田先生も論文はちゃんと読んでおられました。それでは、この言葉で岡田先生は、何を伝えたかったのでしょうか。それは、論文を読めば読むほど、その論文の著者たちの発想の範囲でしか研究ができなくなり、研究の幅がどんどん狭まっていくということです。「研究の自由度(岡田先生が好んで使われた言葉の一つ)」が減るのです。そんな馬鹿げたことをするくらいなら、論文を読まずに研究しろ、自分で何かを見つけろという意味だと思っています。私は、この考え方は、時を超えて重要な概念だと思って、今でもこのことをいつも肝に銘じて論文を読んでいます。

「細胞は何かを語りかけてくれる。それに耳を傾けろ。」
これも岡田先生の言葉です。この言葉は、私が大学院に進んだ時に初めて言われたのですが、これを実行するためには、先ず、細胞に真摯に問いかけなければなりません。その問いかけが適切な場合、細胞は何らかの反応を示してくれます。研究者がその反応をキャッチするアンテナを持っていれば、細胞が語りかける生命の鍵を聞くことができるという意味だと思っています。最初聞いた時は、意味することがよくわからず、1時間も2時間もシャーレの中の培養細胞を顕微鏡でのぞいていたという思い出があります。全く飽きなかったひと時でしたが。

岡田研究室の研究者は、皆さん、日本細胞生物学会を中心に活動していましたので、私の学会活動もスタートは細胞生物学会でしたが、研究室として、細胞生物学会以外の学会でも積極的に学会発表しようという流れになり、細胞生物学会以外で初めて参加したのが、日本生化学会でした。1986年の大会で、場所は、関西学院大学のキャンパスだったと思います。生化学会が、学会として初めてポスター発表形式を取り入れるという節目の大会だったと記憶しています。私自身も、もちろん、ポスター発表は初めての経験でした。

その時の発表内容が、その後の私の研究テーマとなる、「核蛋白質輸送のメカニズム解明」に関するものでした。その当時、岡田研究室で始まったばかりの新しい研究テーマでした。何故、そのテーマが岡田研究室で始められたかを理解することは、生命科学の研究がどのように流れていくかを知る上で、若い研究者に参考になると思いますので、ここで簡単に触れます。

岡田先生は、ご存知のように、センダイウイルスを介して、異なる細胞が融合するという、細胞融合現象の発見者です。その細胞融合を活用した赤血球ゴースト法という、今では、誰も使わなくなった方法論が岡田研究室で開発されました。赤血球ゴースト法というのは、赤血球膜の中に、目的とする蛋白質を包み込み、標的とする細胞にセンダイウイルスを介して融合させることで、赤血球膜に包み込んだ目的蛋白質を生きている細胞の中に送り込むという方法です。

私の先輩に当たる岡田研究室の研究者の一人が、細胞の核内に存在していた蛋白質を抽出して、赤血球ゴースト法で培養細胞の細胞質に導入したあと、その蛋白質の挙動を追跡しました。その結果、細胞質に導入した、もともと核内に存在していた蛋白質は、速やかに核に移動することがわかりました。これは、その当時、世界で初めての発見でした。もちろん、メカニズムは全く不明でした。

その後、核内で働く蛋白質(核蛋白質と総称)は、核局在化シグナルと呼ぶ特別なアミノ酸配列を分子内に持つということが、海外の研究者によって証明されました。そこで、私が、先ず、行ったことは、核局在化シグナルを含む短い人工合成ペプチドを利用することでした。核蛋白質の挙動を簡便に、かつ詳細に解析する手法の開発が目的でした。簡便に解析できれば、輸送因子の同定を迅速に進められると考えたからです。核局在化シグナルを含むペプチドを、核には入ることのない蛋白質の一つであるアルブミンに人工的に共有結合させました。その結合分子を赤血球ゴースト法で、培養細胞の細胞質に導入し、核へ移行するかを調べます。短いペプチドを付けるだけで、大きな蛋白質の挙動が変化するかどうかは、当時、全く不明でした。抗アルブミン抗体を用いた間接蛍光抗体法によって、ペプチドが結合したアルブミンの細胞内局在を確認します。すべての操作が終わった後、暗室に設置された蛍光顕微鏡で観察しました。すると、アルブミンが核に綺麗に局在していたのです。感動して、心臓が高鳴ったのを鮮明に憶えています。この感動を経験すると、研究者を辞めるという発想は生まれません。その成果を、初めて参加した生化学会で発表しました。核蛋白質輸送という生命の基本となる素晴らしいテーマの成果発表を生化学会でスタートさせることができました。

その後、このペプチド結合体を活用して、輸送因子の同定に進みました。二つの輸送因子にたどり着きました。核蛋白質を中心に二つの因子が結合して複合体を形成し、核膜に存在する核膜孔に到達することを発見し、その複合体をnuclear pore-targeting complex(PTAC)と名付けました。その複合体を構成する二つの因子を、それぞれの分子量に因んで、PTAC58、PTAC94と名付けました。未知の機能因子の発見でした。ほぼ同時期に世界の他の二つのグループも同じ因子にたどり着いており、最初は、別々の名前で呼ばれていましたが、今では、イギリスのグループが名付けた、importin α、importin βという名称が、世界で広く使われています。

これらの因子に関する研ア成果を生化学会で、毎年、発表しました。それらの業績を評価していただき、2014年に京都で開催された第87回大会の会頭を務めさせていただきました。会場は、京都国際会議場と京都プリンスホテルでした。10月15日から18日までの4日間ですが、季節的にも最高で、天候にも恵まれたと記憶しています。会頭として意識したのは、今では普通となった「異分野融合」でした。私が医学部に所属していたこともあり、臨床医学に関するシンポジウムを企画したりしました。多くの方々のご協力により、無事に大会を終了することができました。

最後に一言だけ、若い研究者へのメッセージを記します。自分自身の研究結果から生まれる多様な発想を大切にしてくださいということです。今、日本の研究力低下が指摘されています。その最大の原因は、Nature誌やScience誌などの有名なジャーナルに載る論文だけを重要視するといった、科学の多様性の低下だと私は思っています。もちろん、論文をNature誌やScience誌などに発表するなというつもりは全くありません。偏ったジャーナル重視ではない、幅広い研究を大切にすることが、力強い研究力の向上につながると信じています。「一座建立」の場に、多様な研究者が集うことを願っています。楽しいはずです。

(一般財団法人阪大微生物病研究会理事長、大阪大学名誉教授)

生化学会役職歴

  • 2014年・2015年度 常務理事
  • 2014年度 第87回日本生化学会大会会頭
  • 2020年・2021年度 監事
  • 2022年・2023年度 監事