会長あいさつ
会長 本橋 ほづみ
(東北大学大学院医学系研究科)
このたび、日本生化学会会長を拝命いたしました、東北大学大学院医学系研究科医化学分野の本橋ほづみと申します。現在、加齢医学研究所遺伝子発現制御分野を兼務しております。1994年に、東北大学大学院医学研究科の大学院生として本学会に入会して以来、数多くの研究者の方々との出会いや交流を通じて多くを学び、奨励賞や柿内三郎記念賞をいただく機会にも恵まれました。これらの経験を通して、自身の研究を発展させ、共同研究を広げ、また多くの励ましをいただくなど、生化学会に育てていただいたと深く感じております。
生化学は、生命科学のあらゆる分野の“土台”のような学問です。たとえば、建物にたとえるなら、私たちが扱う酵素や代謝経路、シグナル分子は、目には見えにくいけれど、すべての構造を支える基礎部分にあたります。最近はAIやデータサイエンスなどの新しい技術を駆使した研究が注目を集めていますが、それらは「分子の動き」という現象をよりよく理解し、着目している現象が大きな生命現象の中でどのような位置付けにあるのかを確認するための手段です。生命の根本原理を探究する生化学の精神は、どんな時代になっても決して色あせないと思います。むしろ、さまざまな技術開発が進み、多くの定量的な解析が可能になってきたこれからが、生化学の時代であると感じております。
こうした生化学研究者によって創設された日本生化学会は、本年で100周年を迎えました。京都で岩井一宏先生を会頭として開催された第98回日本生化学大会では、100周年記念式典が盛大に行われ、3名のノーベル賞受賞者による特別講演に加え、若手研究者によるパネルディスカッションや「未来の生化学」をテーマとしたプレゼンテーション、さらに高校生によるポスター発表の表彰など、多彩な企画が展開されました。私はこれまで、「研究とは自己表現である」と考えてきましたので、「生化学は芸術だ」という若手研究者の皆さんの力強いメッセージを聴き、たいへん心強く、そして嬉しく感じました。これからの100年を見据え、日本、そして世界の生化学という学問領域のさらなる発展に向けて、日本生化学会が果たすべき役割と担うべき使命について、ここで少し述べてみたいと思います。
第一に、若手研究者の挑戦を全力で応援することです。前々会長・一條秀憲先生のご尽力により、学部生および修士学生の会費が無料となり、さらに前会長・横溝岳彦先生の時に、2026年度から博士課程学生の会費も無料となることが決定しました。(ただし、学会としての収入減を補うため、正会員の会費は3割増、評議員の会費は6割増し(!)となります。シニアなメンバーの皆様には、日本の生化学研究の未来への投資として、どうかご理解とご協力をお願い申し上げます。)この取り組みをきっかけに、より多くの学生の皆さんが日本生化学会の活動に参加してくださることを期待しています。特に本学会の大きな特徴であり強みでもある支部活動が、学生や若手研究者にとって参加しやすく、一流の研究者と密に交流できる場として、さらに活性化されるよう工夫を重ねていきたいと考えています。(予算の許す範囲で、昨今の物価高を考慮し、生化学会本体から各支部への支援金を増額できないか検討したいと思っております。)また、「生化学若い研究者の会」の活動も積極的に支援し、これまで以上に日本生化学会との連携を深めていきたいと思います。さらに、服部光治先生が企画委員長を務められている雑誌「生化学」は、日本語で最先端の生化学・生命科学研究の成果を読むことができる素晴らしい事業ですし、東北大学の五十嵐和彦先生を新編集長に迎えた The Journal of Biochemistry では、優れた論文をJB論文賞として顕彰しています。これらはいずれも、若手研究者や大学院生(もちろん、シニアなメンバーの方々も!)を応援する重要な活動です。一方で少し残念なお知らせですが、若手研究者支援の一環として10年間にわたり小野薬品工業株式会社様のご寄付により運営されてきた「早石修記念海外留学助成事業」が、本年度をもって終了することとなりました。これまでに70名を超える若手研究者の海外留学を支援してきた本事業の功績に心から感謝申し上げるとともに、これに代わる新たな支援事業の立ち上げに向けて、現在検討を進めております。
次に掲げたい二つ目の柱は、「分野の垣根を越えた新しい研究交流を活発にすること」です。近年、生化学という学問は、生命現象の分子機構を探るだけでなく、化学・物理・医学・情報科学など、さまざまな分野と接点を持つ“交差点”としての広がりを見せています。異なる専門性をもつ研究者が「生化学」という共通語を介して語り合い、新しい視点や概念を生み出せるような場ができるといいなあと感じております。2026年には、久しぶりとなる日本分子生物学会との合同大会が、胡桃坂仁志先生と水島昇先生の息のあった連携プレーによりパシフィコ横浜で開催される予定です。立場や意見の違いを超えて、学問としての生化学・分子生物学の未来をともに描く契機となることを期待しています。また、生化学会創立の翌年、1926年に加盟した医学会連合では、大会ごとに他の加盟学会との連携シンポジウムを企画したり、Rising Starリトリートに若手研究者を選出したりして、幹事学会としての役割を担っています。さらに、これからの生化学研究を発展させるうえで、情報科学との融合は欠かせません。AIや機械学習、数理モデリング、ビッグデータ解析などの新しい技術をいかに取り入れ、生化学的な知見と結びつけるかが、今後の大きな課題であり可能性でもあります。そのような新しい潮流を支えるために、情報系の学会との共催などによるウェビナーシリーズやトレーニングコースのような試みを展開していくのも有意義ではないかと考えています。
三つ目は、我が国の生化学研究の成果を世界に向けてインパクトのある形で発信するための環境を整備し、同時に世界各国の生化学・分子生物学会との連携を深めることで、国際的な生命科学研究の発展に日本として貢献していくことです。近年、我が国からの論文発表数が諸外国に比べて伸び悩んでいるとの報告があります。論文の質をどのように評価するかについてはさまざまな議論がありますが、日本発の研究は、いわゆる high-tier journal にもっと多く掲載されてもよいのではないかと感じています。背景には、国際誌の編集者たちに日本国内の優れた研究を十分にアピールできていないことも一因としてあるのかもしれません。もしそうであれば、彼らを日本生化学会大会などに招き、質の高い日本の生化学研究を直接見てもらうことが有効な方策になると考えています。極東から欧米の科学コミュニティへと積極的に発信していくには、地理的にもさまざまな不利があります。その中で、横溝前会長のリーダーシップにより始まった韓国生化学・分子生物学会(KSBMB)との連携は、極東アジアのプレゼンスを高めるうえで意義深い取り組みであり、今後も継続・発展させていきたいと考えています。一方で、日本生化学会はこれまで、アジア・オセアニア地域の生化学・分子生物学者連合である FAOBMB(Federation of Asian and Oceanian Biochemists and Molecular Biologists)において、日本を代表する学会として重要な役割を果たしてきました。昨年の理事会では、その役割を今後も継続すべきかどうかについて活発な議論がなされましたが、最終的に、2029年に FAOBMB 年会を日本に誘致し、開催を引き受けることが決定されました。これにより、日本生化学会は引き続きアジア・オセアニア各国との交流を推進し、この地域の生化学研究の発展に貢献してまいります。現在、帝京大学の本間光一先生を中心に、開催に向けた準備が進められています。
最後は、基礎研究の真の推進が実現するよう、学会として継続的に要望を発信していくことです。100周年記念式典で祝辞をくださった生物科学学会連合代表・東原和成先生のお言葉をお借りすれば、「本当の基礎研究はトップダウンではなく、ボトムアップであるべき」です。研究者一人ひとりの自由な発想に基づく創造的な提案(それがすぐに役立つかどうかは別として)知的好奇心や探究心から生まれるエネルギーを支えているのが科研費です。一方で、内閣府や各省庁が主導するトップダウン型の大型研究費は、しばしば既存の成果の延長や応用研究を重視する傾向にあり、必ずしも真に独創的で新しい研究を支援する仕組みにはなっていません。日本生化学会は、生物科学学会連合の加盟団体の一員として、基礎研究を支える根幹である科研費の一層の充実と増額を、今後も積極的に要望してまいります。
皆さまと一緒に、生化学の魅力をさらに広げ、未来の生命科学を支える新しい芽を育てていければ幸いです。これからも変わらぬご支援とご協力を賜りますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
2025年11月10日
日本生化学会会長
本橋 ほづみ



